最高裁判所第一小法廷 昭和58年(オ)837号 判決 1984年9月06日
上告人
奥村きみゑ
右訴訟代理人
滝博昭
被上告人
犬山市農業協同組合
右代表者理事
梅田常雄
右訴訟代理人
小栗孝夫
小栗厚紀
石畔重次
渥美裕資
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人滝博昭の上告理由について
仲裁契約の当事者が特定の第三者に対し仲裁人の選定権限を付与する旨の合意は、当事者の一方に著しく不公平な選定権限を付与するものであるなどの特段の事情のない限り、有効であると解するのが相当である。
本件において原審の適法に確定したところによれば、(一) 上告人と被上告人との間に締結された養老生命共済契約において合意された約款には、共済契約について紛争が生じた場合に当事者間の協議がととのわないときは、当事者双方が書面で選定した各一名ずつの者の決定に任せるものとし、その者の間で意見が一致しないときは、愛知県共済農業協同組合連合会(以下「愛知県共済連」という。)が設置する裁定委員会の裁定に任せる旨の条項がある、(二) 右裁定委員会は、共済契約上の紛争を解決するなどし、もつて農業協同組合又は農業協同組合連合会が行う共済事業の円滑な運営と正常な発展を図ることを目的とするものであつて、学識経験者及び農業協同組合、農業協同組合連合会(共済事業を行う者は除く。)又は農業協同組合中央会を代表する者の中から、愛知県共済連の会長が同理事会の承認を経て委嘱する委員五人以内で構成され、運営費を愛知県共済連に負つている、というのである。右事実関係のもとにおいては、右仲裁人選定条項は、仲裁契約の当事者の一方に著しく不公平な仲裁人選定権限を付与するものとはいえず、仲裁契約を無効とすべき特段の事情があるものということはできないから、これと同旨の原審の判断は正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(和田誠一 藤﨑萬里 谷口正孝 角田禮次郎 矢口洪一)
上告代理人滝博昭の上告理由
原判決には次の通り判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背がある。
原判決は第一審判決を引用したうえさらに「たしかに本件約款には『愛知県共済連が設置する裁定委員会』と明記され、同委員会の委員は愛知県共済連の会長が同共済連の理事会の承認を経て委嘱するものではある(成立に争いのない乙第八号証の第四条第二項)が、原審認定の如き右裁定委員会の目的、組織(委員構成)、裁定手続等に照らすと、本件裁定委員会の愛知県共済連からの職務の独立性と公正は担保されているものと認めるのが相当であつて」と判示する。
仲裁手続に関し、仲裁人の資格、選定権について民事訴訟法は特別の制限を設けず一応当事者の任意に委せていると解される。しかし、仲裁手続と雖も、実質的には通常裁判所によらない裁判をその本質としているのであるから、条理上、公正な手続を実現するための制約が存在すると解すべきである。
そうすると、紛争の一方当事者或いは少くともこれと法的に利害を共通する自然人ないし団体に仲裁人選定の権利を付与する契約は民事訴訟法第七八六条に規定する仲裁契約としては無効と解すべきである。
個々の選定された仲裁人の主観的な事情はどうあれ、客観的には仲裁人の公平な判断を期待できないことになるからである。
本件の場合、再共済する共済連即ち愛知県共済連が設置する裁定委員会が仲裁人となることが約款上定められている。
従つて、仲裁手続は、再共済という法的紐帯によつて、上告人に対して、被上告人と利害を共通する愛知県共済連が設置する裁定委員会を仲裁機関として行わなければならぬことになる。
愛知県共済連が設置する裁定委員会との表記は、同委員会が共済連に常設的な機関なのかそれとも随時的に編成される機関なのかその点余り明白にしているわけではない。しかしいずれにしても同委員会の委員は愛知県共済連の選定することに変わりはなく、結局、同共済連のみに仲裁人選定権を付与する契約に等しいと言わねばならない。
現に、「裁定委員会規定」第四条は、同委員会の委員は愛知県共済連の会長が同共済連の理事会の承認を経て委嘱するとなし且つその人選の範囲を定めている。同共済連の一方的裁量によつて、委員を選定する手続を定めている訳である。
凡そ、裁定が公平に行われるためには、裁定機関と裁定手続の両面に亘つて公正さが担保されていなければならぬことは自明の理である。いずれに欠陥があつても制度として客観的に公平に運営されるとは言い難い。
原判決はこの点を看過して、単に、「原審認定の如き右裁定委員会の目的、組織(委員構成)、裁定手続等に照らすと本件裁定委員会の愛知県共済連からの職務の独立性と公正は担保されているものと認めるのが相当」と判示する。
裁定委員会の目的とは第一審の認定したところに従えば「共済契約上の紛争を裁定解決するなどし、もつて農協又は農協連が行う共済事業の円滑な運営と正常な発展を図ること」と思われるが「公正」を直接担保するものとも解されない。裁定の公正さは制度の運営方法の如何にかゝつていると言わねばならない。原判決が第二にあげる組織(委員構成)なるものは、前述した通り誠に不公平な方法で組織されるのである。裁定委員会規定は委員を委嘱すると規定し、共済連と委嘱すべき者との間に権力関係のなきが如き表現になつている。しかし、委嘱者は委嘱すべき者を選択する自由を有する。
右規程に規定する人選の範囲と雖も右自由の制約としては狭きに失する。さらに、委員に共済事業を行うものは除き、委員が裁定事件の契約関係者であるときは裁定に加わることはできないとも規定している。
しかし、紛争の当事者に利害関係を有するものは多岐に亘るから右制約のみでは、到底公正な仲裁手続を期待できる委員構成を担保するとは言い難い。
民事訴訟法第七九七条は仲裁人に対して強力な仲裁手続の続行権を付与しているのであるから、仲裁人の選定は重大極まる手続と言わねばならない。
次に、原判決は公正さを担保しているものとして裁定手続をあげている。成る程「規程」は、民事訴訟法第七九九条に基く体裁の裁定書を作成するように規定している。
しかし、実質的には、裁定書の要式性が裁定内容を合理化するものではないから裁定内容について、不服申立の手だてがない以上、単なる裁定書の要式性もそれ程、判断の公正を担保することに役立つとも考えられない。
原判決が公正さを担保するとなす要素は、委員選定手続の不公平さが存在する以上、正常に機能することを期待し得ない。
してみると、公平の見地から、一方当事者に、仲裁人選定権を付与するに等しい本件約款の紛争処理条項は仲裁契約としては無効と解すべきである。
しかるに、右紛争処理条項に付、民事訴訟法第七八六条の規定を適用して仲裁契約を定めたものとなし、本件訴えを不適法なものと判断したのは判決に影響を及ぼすこと明らかなる法令の違背があると言うべきである。